
目の前に新型デミオと呼ばれているクルマがある。
初代からの流れを知っている者にとっては、それは猛烈な違和感のあるクルマに見える。
海外販売比率が77%と、もはや国内市場にあまり注力しなくてもやっていけるようになったとはいえ、マツダは日本の大衆車市場で一定の存在感を示してきた。
その存在感は、広く支持され累計100万台の販売を達成したデミオによって支えられてきた部分も大きいだろう。
それが、三代目としてスポーティHB(ハッチバック)という、カッコはいいが客を選ぶようなクルマとして出てきたことで、その存在感を薄めてしまうことになりはしないか、という心配がどうしてもつきまとう。
そう、レガシィとインプレッサで行き詰まってしまったスバルのように。
過去にも書いたように、会社の都合によってコンセプトを捨て去るという行為は、代々デミオを乗り継いできたオーナーに対してあまりに無責任な戦略ではないのか?
マツダにはもっと“デミオというブランド”を大事にしてもらいたかった。
もしくは、今回のこのコンパクトなスポーティHB車には、新たな名前を与えるべきではなかったのか?
アクセラの投入にあたり、あっさりとファミリアの名前を捨て去ったマツダなのだから、デミオとして行き詰まりを感じていたのであれば、新たなネーミングで刷新感を演出したほうがインパクトがあったと思う。
なにより、そうしてもらったほうが旧デミオオーナーも納得いっただろうし、もし失敗したとしても旧来デミオのコンセプトの車種を新たに開発して、何食わぬ顔してデミオのネーミングで発売するという保険を掛けたやり方もできただろうに。
なんでここまで従来のコンセプトにこだわるのかと言うと、新型がああいった積載性を切り捨てるような方向になった際に、じゃあどのクルマが従来のデミオオーナーの受け皿になるのか?という点が不透明だからだ。
マツダのコンパクトカーは、デミオとその上位コンセプトのベリーサ2車種しかない。
しかも、ベリーサはちょっと上級志向のクルマということで、荷物をガンガン積んで足代わりに使えるようなコンセプトではない。
ベリーサも次期型の開発が行われているようであるが、こちらはコンセプト的にそれほど変化はないらしい。
そうすると、デミオ的なクルマを欲しい人は、必要ない上級装備のベリーサしか選択肢がなくなってしまうことになる。
この辺のマツダの割り切りが、リスキーに感じられてならない。
選択肢が限られるのならば、別にマツダを選ぶ理由もなくなる。
それこそトヨタ、ホンダ、スズキ、三菱など魅力的なコンパクトカーを出している会社はいっぱいあるのだから。
オーナーを獲得するための労力は大変なものがあるが、"欲しいクルマがない"というただそれだけの理由で簡単に失うことにもなりかねない。
三代目デミオ投入は、自動車が売れなくなった日本において、かなりの冒険であり、同じところに留まっていては勝てないというマツダの危機感の現れであるとは思う。
ただ、そういう勝負を賭けるのに、最量販車種であるデミオという車種が相応しかったのか?非常に疑問に残るところだ。
ということで、世界戦略車として非常に良く出来ているクルマであることは間違いない。
それゆえに、デミオである必然性というのがどうしても理解できない自分がここにいる。
ゆえに、この良く出来たクルマはデミオではない。
このクルマこそ、欧州での車名である『MAZDA 2』のエンブレムに付け替えて乗りたい気分だ。
その方が健全な気がするのだが、どうだろうか?
(まだまだつづく)
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でみお
この記事へのコメント
ねお電人
ノ~○ロムゲスト
海鮮丼太郎
っていうか、今回のエントリーはあえてネガティブに捉えてみましたが、もうひとつポジティブに見たらどうなんだろう?っていうことで続きを書いております。
原稿が消えてしまったので、いつ完成するかわかりませんがwww