クルマの話ばっかりじゃあれなので。
本業はこちら方面なので備忘メモ的にエントリー書いときます。
先日、お仕事の合間にGLOCOM(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター)の主催する『ネット炎上の真実』と題する公開コロキウム(セミナー)に行ってきた。
ネットの炎上に関しては様々な考察が行われているが、GLOCOMの山口真一氏ならびに田中辰雄氏による統計学的手法による炎上の実態をまとめた『ネット炎上の研究』発刊記念として行われたものであり、炎上事例と分類、炎上参加者のプロフィールや参加人数、予防対策といった議論が交わされた。
当日の模様はBuzzfeed Japanで簡単にまとめられている。
一点ここで書かれていないポイントを付け加えると、炎上参加者の属性に『ラジオを聴いている確率が高い』というものがあった。
これは統計に用いた変数の中で既存マスメディア(テレビ・新聞・雑誌・ラジオ)のいわゆる4マスの利用時間を調査した結果なのだが、炎上の言説の中で4マスのことを“マスゴミ”として偏向報道だの信頼できないだのと侮蔑する割に、ラジオの聴取時間は優位に高い結果が出ているのは注目すべき点と言えるだろう。
これは炎上参加者が“頭を良く見せたいという願望”から来るものではないか?と山口氏は分析していた。
(最近は週刊誌の活躍が目立って入るが)マスメディアとして誠実な報道を続けてきたラジオというメディアに信頼を寄せている証と言えるのかもしれない。
逆に、炎上に加担するような極端な言説に走る連中がラジオが好きという厄介な状況なのかもしれない、と考えると頭が痛くなる部分ではあるが。
なお山口氏が炎上加担者の調査に用いた変数は以下の通り。
そしてそこから推定される炎上加担者の属性はこの通り。
しかし、炎上加担者の実数はそれほど多くはないというのは上記のBuzzFeedの記事の通り。
たとえば昨年3月のルミネのセクハラCM騒動を例にすると…
炎上に参加(批判的なツイートを1回行う)はピークで5000人程度。
そして執拗に炎上を煽る(批判的なツイートを3回以上行う)のはその中の200人程度(1.9%)
実際に当人に攻撃を加えるのは更に減って数十人程度(1%に満たない)
これはどの調査でもほぼ一定している数値であって、(社会的な不祥事は除いて)炎上に過敏に反応するのではなく、その中身をきちんと見極めて対応することが望ましいという話だった。
また、多くのSNSが存在する中で利用者の多いfacebookならびにLINEでは炎上は発生していない。
圧倒的にtwitterが炎上の舞台になっていることがわかっているが、裏を返せばこれはtwitterがそれだけ情報の伝播力に優れているということだ。
(厳密には炎上の種がtwitterに持ち込まれ、それをまとめサイトが恣意的に編集して炎上を煽り、それがtwitterで拡散される)
昔を知るものであればすぐに思いつくことだが、2ちゃんねるの役割がtwitterに変わっただけであり、炎上のロンダリングの中で2ちゃんねるは相変わらずその役割を果たし続けている。
facebookは濃密な議論には向いているが、社会的に何かを発信し、それを広くムーブメントとして伝播させるのは困難なツールになってしまった。
LINEはそもそも情報発信のメディアではない。
だからこそ、炎上を恐れて情報発信を委縮することなく、また必要であれば対抗的な言論を以ってきちんと対処していくことが、これからの時代に必要なことなのではないかと田中氏は結論付けていた。それに関しては当方も同意だ。
ただし問題は、炎上を煽るまとめサイトがPV目当てで過激化する中、対抗言論を用いて火消しを行う場合のコストが圧倒的に割に合わない点だ。
まとめサイトは嘘だろうが何だろうが煽ってPVを稼げばそれがアフィリエイト収入に直結するが、その嘘を訂正して対抗する側は検証の手間を掛けて公開するタイムラグがあり、またそうした訂正情報がPVを稼げるわけでもないという問題がある。
たとえば東日本大震災や先日の熊本地震で流布したデマや誤解に基づく炎上に関して、評論家の荻上チキは可能な範囲でその内容を精査し、火消しに尽力したりしているが、そうした訂正情報がtwitterなどで拡散される数は炎上目的の拡散に比べると圧倒的に少ない。
またその検証に掛けたコストを回収する方法が確立されていない以上、継続的に活動を続けることは困難だ。
このやった者勝ちの状況を変えるには、法律で網を掛けると表現の自由の侵害になるため、まとめサイトの客観的正確性の格付けを広告業界が行い、ウソや社会的混乱を招いたまとめサイトの広告収入を激減させる仕組みを構築するしかないだろうと個人的には考えている。
少なくともビッグデータや各種解析技術によって、そのサイトが発信した情報がどの程度の正確性を持ったものかは機械的にある程度判定することができる。
技術的にできることをやらないのは、「be evil.」であって「Do the Right Thing」の実践には程遠いと思う次第也。
■その他参考文献
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