ルーツと思い出を巡る一日(1)

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怒涛の木曽路450kmを走破した翌日は、打って変わって名古屋近郊の思い出を巡る一日となりました。

情報収集も兼ねてダラダラとiPhoneをいじってたら出発予定時刻を過ぎてました。
いけませんねぇ、こういうのは。

そんなわけで宿泊した小牧から約30分ほどで、約40年ぶりの懐かしの場所に到着。

あとで母親に確認したところ確かにすっぽんぽんで乗り物に乗っていたが、三輪車ではなく跨って足で蹴って進む乗りものだったとのこと。
ただし、やっぱりチンチンを挟まれたのは事実らしい。

唯一のビジュアルのある思い出がそれっていうのは、逆に言うとどんだけ強烈な痛みだったんだ?とも思わせる。

言葉は話せなくても、周りの人の顔は覚えてなくても、たくさんの人に笑顔で接してもらい、可愛がってもらった記憶は心の奥底に残る。
この地に約40年ぶりに降り立って、当時のことが湧きあがって胸が熱くなる感じは、「インサイドヘッド」で言うところの記憶のストレージに久しぶりに光が当たったからなのだろう。

そして半分近くが空き家になったこの団地の状況を目の当たりにして、あの頃には2度と戻れないということも同時に悟るわけだが。

そしてまったくの偶然なのだが、家から歩いて5分ぐらいのところに、日本のコンビニエンスストア第一号店がある。

自分自身の記憶はないのだが、先日兄貴がこの店の話を楽しそうに語っていたのが印象的だった。
店舗面積は今のコンビニ基準で言えば少しだけ小さい感じだが、奥に厨房があるようで、当時はそこで作った惣菜なんかを並べていたりしたのだろうか?

今も焼き立てパンのコーナーがあるのだが、これは恐らくどこか本部から送られてきたものを加熱だけして陳列しているものと思われる。

日曜日ではあるものの、団地内は人も少なく穏やかに時が流れている。

道を行き交うのは高齢者が多く、コンビニの品揃えも高齢者が日常的に必要なものを揃えている感じだった。


団地の集会所はデイサービスの施設に代わり、小さな商店街も個人経営のお店がいくつか残るだけ。
典型的な高齢者のウェイトが高くなった昭和の団地の縮図ではあるのだが、ところがどっこい新しく小学校を建設したりもしていた。

理由を調べてみると、昭和の人口急増でこのエリアには3つの小学校が作られたが、校舎の老朽化と昨今の人口減少により新たに新設統合する計画になったようだ。
当方の母校であるくぬぎ台小学校は、団地内の児童減少により近隣の小学校へ統合されてしまったが、小学校のなくなった団地というのはとても寂しいものになってしまった。

高齢化の進む藤山台団地ではあるが、やはり子供の声が響くような、そんな場所であって欲しい。

幸いにしてかなり規模の大きい小学校が建設されているようなので、また賑やかな団地になってくれるといいな、と思う。

そんなわけで、自分ならではのQOL(Quality Of Life)を求めて、ルーツである場所を訪れてみたわけでありました。

名残惜しい…

だけど、生きていかなくちゃね。



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