ホンダの元上司であった毛塚敏郎氏から声を掛けられ、入交昭一郎氏への尊敬の念からセガへと転身した上野氏のお話。その最終回。
『ホンダ、フォルクスワーゲン プジョーそしてシトロエン
3つの国の企業で働いてわかったこと』 上野 国久
ドリームキャストの値下げの時期と前後して、社長であった入交氏に米デルファイ・オートモティブ・システムズから社外取締役への就任の打診があった。
社内には反対の声もあったが、結果として入交氏はデルファイの社外取締役に就任し、たびたび取締役会に出席するためにアメリカへ行くようになった。
しかし肝心のドリームキャストは値下げ以降も伸び悩みを見せる。
“ドリームキャストの事業計画と実績の差は広がるばかりであった。
1998年11月の発売以降、99年の春、夏そして年末と、それぞれの商戦に向けてあらゆる可能性を追求しつつ販売促進を試みたが結果は振るわず、2000年になると、もはやドリームキャストが失敗であることを認めないわけにはいかなくなった。”
“入交さんは2000年3月の決算が3年連続赤字となった責任を取って社長を降りて副会長となり、かわって大川さんが社長として陣頭指揮を執ることになった。”
入交氏が株主総会の準備を進める中で、自身の退任と役員人事の策定にあたって、上野氏に役員への打診があったそうだ。
上野氏はマーケティング総括としてドリームキャストを取り仕切っていたわけで、結果として事業に失敗した責任を感じていたことから、これに難色を示す。
“「すみません、待ってください」
入交さんは怪訝な顔をした。
「僕はドリームキャストの失敗に責任を感じています。部下たちを昼も夜もなく週末まで働かせて、それでもドリームキャストは失敗して、何人も会社を辞めさせることになって、なのに自分はやくいんになるなどと」
と、私が口ごもると、入交さんには私の返答が意外だったようで、
「なんだ、役員就任が受けられないというのか」
「はい、受けられません」
すると入交さんは怒った口調で
「じゃあ、会社を辞めるんだな」
と言い放った。そのような入交さんに接するのは初めてのことだった。”
いきなりの話で次の仕事もまだ探していなかった上野氏は、すぐにというわけにはいかないと答えてこの場を収める。
ずっと入交氏に忠誠を尽くして働いてきた5年間で、上野氏が入交氏に背いたのはこの一度だけだった、と語っている。
結局この3ヶ月後に上野氏はセガを退職する。
上野氏をセガに招いた毛塚氏も退職し、入交氏自身も同年12月にセガを辞めた。
明けて2001年1月31日、報道にリークされたことを認める形で、大川社長がセガの家庭用ゲーム機市場からの撤退を表明。そしてドリームキャストは失敗に終わった。
全世界に残った200万台にものぼるドリームキャストの在庫は、9900円という投げ売り価格で売られ、セガの家庭用ゲーム機事業はここで完全な終息を迎えた。
その後上野氏はどうしたかというと、セガと取引のあった広告代理店であるADK(アサツーディ・ケイ)に声を掛けてもらったことで渡りに船とばかりにADKへ転職する。
(それ以前にいくつかヘッドハンティングの打診があったものの外資系ばかりだったことからあまり気乗りしなかったとのこと)
ADKでは三菱自動車を担当する部隊に所属したが、当時のADKは三菱自動車との取引を電通に奪われ、その奪還のための活動中で部署だけ残している状態だったため、入ったはいいがやることが無かった。
映画を観たりブラブラしているうちにホンダ、セガ時代の先輩だったという田中慎一氏のPRエージェントであるフライシュマン・ヒラード・ジャパンを訪問。
そこに誘われる形でADK転職から4ヵ月後にフライシュマン・ヒラード・ジャパンにさらに転職し、そこで戦略的コミュニケーションに関わることになる。
それと並行して、セガを辞めた入交氏の個人事務所の秘書として、入交氏のマネジメントを行っていたそうだ。
辞めた後もこうして関係が続いていたというのは、上野氏が入交氏に対する想いが強かったのかが窺い知れるエピソードだ。
そしてフライシュマン・ヒラード・ジャパンからフォルクスワーゲン・グループ・ジャパン、そしてプジョー・ジャポンへと転職していくことになる。
こうしてホンダからのキャリアを見ていくと、セガ時代の5年間は上野氏にとっては明確な失敗を経験した時期とも言える。
組織や人の問題、販売戦略のジャッジミスなど様々な要因が重なっており、セガでの失敗が必ずしも上野氏だけに責任があるわけではない。
それは著書以外にも当時の経済誌などで語られていることからも明白だ。
だからこそ、上野氏はセガ時代を“修行だった”と表現したのだろう。
そりゃ、経歴に書きたくない事情もわからなくはない。
それと、ここでは詳しく触れないが、大川功会長に関するエピソードも非常に興味深い。
結果としてセガはドリームキャスト撤退に伴い800億円の特別損失を出したが、大川功氏が個人資産から850億をセガに提供する形でこの穴埋めをして世を去っている。
以上がセガ時代の上野氏に関するエピソードだ。
同じ時代に別角度から関わっていた者としては、非常に興味深く読ませてもらった。
これだけでもこの本の元を取った気分だ。
セガに関するお話はこれでおしまい。
もう少し補足的に上野氏について書いてみようかと思う。
この記事へのコメント
のり
ついに先日プジョー208プレミアムを購入し
操作方法で書かれている記事は無いかと
検索している中で
初めて訪問させていただきました。
だったらなんでこちらの記事に
コメントかと言いますと、
私がプジョーに恋焦がれる理由を作ったのは
セガラリー2での出会いであり、
まさにその時セガにかかわっていた方が
今のプジョーの社長との事をこちらの記事で知った
驚きでコメントさせていただいております。
あの時代のセガは混沌としておりました。
確かに販売では失敗だったのでしょうけど、
私は良く分からないエネルギーの固まりのような勢いを感じていましたし、
普通と違う面白いゲームに出会うことが出来た
一番のハードだと思っています。
まさに「夢」でありました。
セガラリーではいつも車のおしりを見ながら
ゲームしていたので
208でも後姿がお気に入りだったりします(笑)
海鮮丼太郎
コメントありがとうございます。
何気ない点と点が結びついて線になりましたね。
こんな形でもお役に立てたのだとすると、このBLOGをやってて良かったな、と思います。
ちょっと頂いたコメントでエントリー書かせて頂きますね。
海鮮丼太郎
その上野社長ですが、3月末付けでプジョー・シトロエン・ジャポンの社長を退任されております。
とはいえ、この話を聞いたらきっと喜ばれると思いますよ。
のり
これからのご活躍をお祈りしたいです。
新着の記事も読ませていただきました。
続きを楽しみにしております。
フォルツァは360版をプレイしていますが、
シュミレーターという側面を感じ過ぎて
いまいち車に対して憧れが持てませんね…
よく出来たデジタルカタログ、
といった感じです。
セガラリーの車の魅せ方、
音楽に合わせて走る姿は本当にピカイチでした。
一番初めに208で聞く曲は
セガラリーのリプレイ曲に決めてますが、
未だ自前のタブレットと接続方法が不明で
マニュアル読んで調べ中です。
実際聞いたら涙ぐむかもしれないです。