プジョーの話題そっちのけでまだまだつづくこのシリーズ。
それだけ当方にとってはインパクトのある話だったので、しばらくお付き合い願いたい。
現プジョーシトロエンジャポンの社長である上野国久氏が、自身のキャリアを振り返りる自伝的な著書を出した。
『ホンダ、フォルクスワーゲン プジョーそしてシトロエン
3つの国の企業で働いてわかったこと』 上野 国久
発売当初はプレイステーションと互角の戦いを演じながら、キラーコンテンツとなるタイトルの充実が図れず次第に劣勢になっていったセガサターン。
その劣勢を挽回すべく、セガが背水の陣を敷いて勝負に挑むべく開発されていたのがドリームキャストだ。
ドリームキャストとそれによってセガが辿った歴史は、日本のゲーム市場においては忘れてはならないエピソードを多く残している。
ゲームマニアの目線、そしてビジネスからの目線で多くの論考がなされてきたが、ちょうどインターネット普及前ということもあり、その手の話題をネット上で見つけるのは意外と難しかったりする。
当時の話題を口にする人も減り、真偽も定かでない情報がネット上に散見される程度になっていたが、まさに当事者としてセガの中心にいた上野氏が当時の事を語っているのはゲームハードの歴史を検証するうえでも重要なソースとなりえる話だ。
上野氏が元マクドナルドの原田泳幸氏のように、アップル時代の他人の功績を自分のもののように騙ったりしてなければ、という前提が条件だが。
上野氏が後のドリームキャストとなる次世代機の事業戦略とブランド戦略を昼夜問わず働き詰めで作成していた頃の話だ。
ここで飯野賢治との妙なエピソードが語れている。
“商標開発はブランド・コンサルティング会社のインターブランド社に委託して勧めていたが、肝心の名称についてこれといった案がなかなか出ずにさてどうしたものかと思案していたところ、飯野さんが興奮した面持ちで現れて「ずいぶん考えましたよ」と言いながら『ドリームキャスト』の名称を提案してくれた。”
“飯野さんに依頼したわけではなかったのだが、次世代機の名称はまだ決まっていないと私が言ったので、「考えずにいられなくなって」と飯野さんはその巨体を揺らしながら、セガの次世代機について考えたことを、彼の特徴でもあった熱っぽくやや早い口調で語った。
この飯野さんの提案は大変良かったのだけれども、飯野さんが名付けたということになってしまうと、飯野さんの色がついてしまう。飯野さんはその独特な風貌と個性的な言動がメディアで取り上げられて人気者であったが、セガの次世代機はすべてのゲームクリエイターの為のプラットフォームとして世に出さなければならなかった。”
(改行調整と強調表示は筆者)
上野氏が誰にも口外しないで欲しいと頼むと、飯野氏は「ええ、わかってますから」と笑いながら快諾してくれたとのことだ。
通説、というか永田泰大著『ゲームの話をしよう』の中では「候補を募り、絞っていったものであり、特定の命名者はいない」ことになっているそうな。
しかし実は、飯野賢治のアイディアであったわけだ。
確かに、飯野賢治は味方も多いが敵も多い人物であり、もし飯野賢治の命名ということが知れ渡るとそれだけで敬遠するゲーム会社やクリエイターがいたことは事実だろう。
だからこそ口外しないように依頼した判断は正しかったと思うし、飯野賢治自身もそのことはよく理解していたからこそ、口外しないことを約束したんだと思う。
“飯野さんと守秘義務契約を交わして、その対価を支払ったけれども、金額はいかほどであったか、忘れてしまった。
忘れた、ということはないだろう。
それなりの金額は払っているだろうが、しかしそれを当事者がもう亡くなっている状況でほじくり返すのも意味がないし、あまり深く詮索するのはやめておこう。
その後、飯野賢治のアイディアである『ドリームキャスト』という名称案を元にインターブランド社と商標デザインを開発し、セガの最高経営会議で報告すると、大川功会長が「ええなぁ、ええよ」と褒められ承認されたのだそうだ。
大川会長はこのロゴを大いに気に入って、愛飲していたナパバレーのワイン「ロバート・モンタヴィ」と「ベリンジャー」を大量に発注して、ボトルにドリームキャストのロゴを彫り入れて何かにつけてふるまったり、赤坂の和菓子屋でドリームキャストのロゴを焼きつけしたどら焼きを贈答品にしたりもしたそうだ。
やっぱPSOを徹夜でやったことかな!写真はなんかの記念に作られたワイン、いまだ保管してますが酢になってるかもw #ドリームキャストの発売日だし思い出語れよ pic.twitter.com/AR7yNkmSVT
— ロストソング隊長 (@Akeytaicho) 2014, 11月 27
この辺りの逸話は、ゲーム業界周辺にいた人には心当たりがあったりするだろう。
当時CSKグループだったアスキーは、「全社員がドリームキャストの販促をせよ」という号令のもと、裏にドリキャスのオレンジ色の渦巻きマークが描かれた名刺を持たされたものだ。
まさに背水の陣、崖っぷちからの起死回生を狙って、ドリームキャストを世に放つ準備が着々と整えられていった。
この記事へのコメント
宮大工
ドリームキャスト、興奮して発売日に渋谷のビックカメラに買いにいったことを思い出しました。
因みに、ドリームキャスト/WiiU/PSVitaと、私が発売日に買うハードは軒並み爆死するジンクスを持っているようです。
私も、外資系の販売会社にいるので本国と現地・現場との乖離に板挟みになっているであろうことは想像がつくのですが、上野社長、PCJ立て直せないと必敗の指揮官になってしまうのでがんばってほしいですね…(某原田社長程ではないでしょうけど)