プジョー世田谷に関するおもひでぽろぽろ(2)

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前回のつづき。
2008年9月にオープンしたプジョー世田谷ショウルーム。

しかし、その後すぐにリーマンショックが訪れ、プジョーに限らず輸入車市場全体が大きなダメージを受け、回復に数年を要することになった。


プジョーおよびシトロエンブランドは、直営3店舗を除くとそれぞれの地場企業が運営しているケースが大半であり、売れないと見ると扱うブランドを切り替える企業も現れる。

他にもインポーターと契約でモメたり、経営破たんしたりとかまぁいろいろ理由はあるわけだが、地場企業のディーラーをきちんとサポートして販売を伸ばすのがインポーターの役割である以上、アメとムチのうまい使い分けが必要となる。

それがうまくいかないと、とんでもないことが起こるというのを我々プジョーオーナー(シトロエンオーナーも)は体験することとなった。

チューガイカーズという、割と長くプジョー&シトロエンを取り扱ってきた会社の運営するディーラーが何やらおかしなことになっていると話題になったのは、2009年8月の話だ。

おや、チューガイさん撤退ですか?

この時点でプジョー中央ショウルームの運営がチューガイからプジョー東京に移管された。
プジョー世田谷と並んで大規模かつ好立地のディーラーであったため、何事が起ったのか?と話題になったが、とりあえずプジョー東京の運営する店舗はこれで4店舗となった。

同時期にシトロエン有明と世田谷についてはリニューアルとは告知されていたものの実質的に突然の閉店状態になってしまった。

チューガイが手を引きたがっているように見えたわけだが、我々オーナーが内情がどうなっているかなど知る由もなかった。

その後さまざまな情報が錯綜し、最も恐れた事態が訪れる。


2009年12月に、チューガイ系列のプジョー豊玉がいきなり閉店。

2010年1月には、同じくプジョー足立も閉店。

そしてその10日後にはチューガイカーズの倒産が報じられました。


PCJとしては、チューガイの抱えている店舗と顧客が非常に多かったため、なんとか顧客対応を継続するためにプジョー中央ショウルームをチューガイから引き受ける条件として、他の店舗を継続するように、という約束だったはずが、それを反故にされた格好となった。

突然店が閉店してしまい、整備難民となった人々が右往左往する事態となり、プジョー目白が救いの手を差し伸べたりといったこともあったが、プジョー東京も顧客フォローに関してはかなり尽力した(させられた)そうだ。

仕方がないということで、シトロエン有明と世田谷をプジョー東京が引き受ける形で、2010年1月よりプジョー東京株式会社はプジョー・シトロエン東京株式会社に名称を変更している。

PCJの100%資本の入った直営店とはいえ、無尽蔵にお金も人も使えるわけではなく、このあたりからプジョー・シトロエン東京の、ひいてはPCJの国内販売政策がうまくいかなくなってきた。

プジョー世田谷ショウルームは、全国からディーラー担当者を集めてミーティングを行ったりするのにも使われていたそうだが、一時期は各ディーラー担当者からの悲鳴にも似た怒号が飛び交ったりしたと風の噂で聞いた(ってことにしておいてください。)

その後も全国でディーラーの閉鎖やブランド替えなどが起こったり、何かとディーラー網が安定しないと、その評判はネットなどを通じていろいろと伝播してしまい、新規の顧客がしり込みしてしまう。

不本意ながら当BLOGもその役割の一部を担ってしまったことになるわけだが、何より最優先されるべきは顧客に迷惑が及ばないことであるわけで、その点については恥ずべきことはないという認識だ。

しかし一方で、各店舗で独自の施策を打って集客に励む努力も見られた。

特に世田谷ショウルームは管理しているクルマの台数が多いこともあって、比較的試乗車が充実していた。

その中でも珍しく308のMT仕様の試乗車が入った際に、それを1泊2日の体験試乗を企画したりした。

308で一泊二日の旅に出る

ETCが付いていなかったので、徹夜で一般道を走って北陸へ行き、日本海沿いを走って名古屋経由で国道1号をひたすら戻ってくる、1250kmの大冒険に出た。

帰ってきた。

MTの308は、これだけの距離を走っても心地良い疲れが残るぐらいであり、また燃費も18.0km/Lと、燃費を気にせず走った割に驚きの数字を叩き出した。

非常にいい経験をさせてもらった。

そしてその企画がさらにエスカレート。
2011年にプジョーとしてはまったくの新機軸となるRCZが登場した際、2泊3日でRCZを好きに乗り放題というモニターキャンペーンを企画したことがあった。

スポーツカーを借りよう


前回の反省を踏まえて、自前でETCユニットとカーナビを用意して…

ETCの電源をシガーソケット化する話


旅に出た。

RCZで熊野古道に来た。


この数日間の出来事はすばらしい体験として一生忘れないだろう。
その模様をもう少し細かくレポートしたいと思ったのだが…

3.11が発生してしまい、それどころではなくなってしまった。


日本人全体の価値観が揺らいでしまい、今までのライフスタイルを維持することが正しいのか?という疑心暗鬼に包まれた一年だった。

プジョー全体としては、2010年にリーマンショックから回復して年間6000台程度を販売するまでに持ち直し、2011年も6137台を記録したが、それ以降は再び漸減状態に陥ってしまった。

しかしそれでも、世田谷ショウルームはプジョーディーラーの旗艦店として稼働をし続けていたわけだが、当方もショウルームを訪れる際は新車のチェックはするものの、大半は雑談をして帰ってくるだけといった状況だった。

話は前後するが、twitterとUstreamが流行した頃にこういう試みにもチャレンジしていた。

企業イベントとしてのUstreamとtwitterの使い方

ソーシャルメディアの使い方には慣れも必要であり、こういったトライアルから何か次の施策に活かせればいいと思っていたが、その後プジョーがこうした試みを行うことはなく、ソーシャルメディア方面でのマーケティングセンスを徹底的に欠くものになってしまったのは周知のとおりだ。

シトロエンはそこそこうまくやってるのにねぇ…

そして当方が入院してディーラーを訪れる余裕もなく2013年が暮れ、2014年の1月に突然担当セールスが退職する旨、ハガキで連絡が届いた。

それ以降のゴタゴタについては、先のエントリーで書いたとおり。

結局プジョー世田谷ショウルームの閉店は、実質的にこの1月の騒動が尾を引いた形になったそうだ。


当方のプジョーの出会いは旧世田谷店であり、多少の行き来はあったものの、基本的に世田谷店との付き合いでここまで乗り続けてきた。

それだけに世田谷の店がなくなってしまうのは残念だし、なにより閉店という判断を下さなければならないPCJの事情を考えると暗い気持にはなる。

しかし、今後希望が無いのか?というと実はそうでもない。
戦線の状況を見据えて戦力の再編を行うことは、必ずしも敗北を意味するわけではないからだ。

そのあたり、当の世田谷ショウルームのスタッフから話を聞いてきたので、改めてエントリーを書くことにする。


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