ゲーム作家→邪神タソ(またの名をDQN)→大学講師→大学院生
という、一見すると映画『ベンジャミン・バトン』のように人生を退行している感じな遠藤雅伸さん。
もちろんゲームの研究者としてのキャリア形成という意味でもういちどしっかり学び直すという意味での大学院生ということだそうで。
まぁ、外野からみている分には
「学割使えてうらやましい」
ってなもんでありますが。
で、そんな大学院生としての研究の一環として、人がゲームに向き合うときにどのような心理的な作用が働いているかみたいなことまで踏み込んでいるようであります。
人はなぜゲームをやめてしまうのか?
プレイヤーが途中でゲームをやめる理由調査(続報)
人それぞれ理由はあると思いますが、そのサンプルを集めてなにか有意なデータになればいいね、ということでご意見募集中だそうです。
内容は「年齢性別、対象のゲームタイトル、やめた理由」で、タイトルが異なれば1人でいくつでも答えてほしい。例「55男、パズドラ、1ゲームの戦闘回数が増えた」「55男、ダークソウル、何回やっても突破できない場所で挫折」などのように、理由は簡潔な方がまとめやすいかな。また、年齢性別は傾向を分析する手がかりとするもので、必須ではないけど、できれば教えてください。色々なゲームについて知りたくもありますが、特に同一タイトルに対する多数の情報は正確さが上がるのでうれしいです。
ツイッターで@evezoo 宛にツイートするか、ブログのコメントに残してほしいとのことですので、ゲームについて一過言ある方は協力してみてはいかがでしょうか。
個人的には途中でやめてしまう事例は山ほどありますが、Nintendo64が発売されて手に入れたスーパーマリオ64のやめた理由を挙げておきたいと思います。
以前にもBLOGで書いたような気もしますが。
名作としての評価も高いスーパーマリオ64ですが、ゲームを進めていくと割と初期の方で館の中の一部分に光が差し込んでおり、それを見上げることで新たなステージに進めるという仕掛けがありまして。
▲ゲームセンターCXで有野課長はあっさりとこのシーンを突破している
テレビゲームの黎明期からずっとゲーム大好き少年であり続けた自分としては、スーパーマリオ64もワクワクしながらプレイしていたわけですが、どうしても上記したギミックに気がつくことができませんでした。
ネットに攻略法などなかった頃の話で、攻略本などを見ればわかったのかもしれませんが、ゲーマーとしては自分で発見してクリアしてこそというプライドがあり、そうした邪道な手段を使わずにチャレンジしていたわけです。
しかし、どうしても先に進めない。
我慢できなくてある日友人に聞いてその仕掛けの謎に知った時、悔しいというより恐れを感じました。
スーパーマリオ64ではあらゆる行動の自由があり、アクションが可能でした。
不自然に光が差し込んでいる。
それを見上げるというアクションは、ゲームを進めていけば自然にできるはず。
しかし、自分はそれに気がつくことができませんでした。
最新のゲームに自分の感性が着いていけていないという事実を認めた時、急にスーパーマリオ64が怖いゲームになりました。
そして、二度と立ち上げることはありませんでした。
以降、3Dのスーパーマリオシリーズに手を出す気にはなれません。
「マリオ恐怖症」であります。
そして、テレビゲーム全般に対する姿勢が少しずつ消極的なものになっていきました。
社会人になって自由な時間が減ったということもありますが、最新のゲームに着いていけないという事実を突き付けられるのが怖かったんだと思います。
その意味で、ゲーマー人生を大きく変えるきっかけになったのが、スーパーマリオ64でありましたとさ。
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