生きる希望を持つためのメンテナンス

 
どうも病気をすると気分が後ろ向きになったりするものだが、逆に変にポジティブになったりすることもある。

一時帰宅をしている最中ぐらいは大人しく静養していればいいものを、どうも家の中の不具合の出ていた部分を修復したり、趣味の道具のメンテナンスに精を出している。

今回特に整備に念を入れているのはバイクだ。

入院してから4ヶ月間乗ることもなく放置状態だったおいらのバイクだが、一時帰宅が終わればもう一度入院してしばらく乗れなくなる。

だったら整備するのは今じゃなくてもいいんじゃないか?と周りから思われるかもしれないが、「今だからこそ整備しておきたい」という衝動に駆られた。

今乗っているバイクは購入してから2年半が経過し、距離もそこそこ走ったので一度しっかりとした点検をしたいとは思っていたのでいいタイミングではある。

250ccのバイクなので車検は無いが、車検に準じた点検整備をしてもらったところ、結果的にエンジンオイル、ブレーキフルード、スパークプラグ、そしてクラッチの交換という割と大掛かりな作業が行われた。

諭吉4人分+αでちょっと痛い出費となったが、それでも修理が完了したバイクはスムーズに加速し、気持ちよくギアが入るようになり、かなりご機嫌な状態になった。

これでいつでもツーリングに出掛けられる。

この「いつでも出掛けられる」こそが、今だからこそ整備しておきたいという衝動の原動力になっている。

今回の闘病については生命の危機はとりあえず回避出来ているものの、入院すればまた1ヶ月以上は家に帰れない。

しかし治療を終え、しっかり完治することができれば、また家に帰ってきて『バイクでいつでも出掛けられる』。

つまり、バイクを整備しておくことは、生きるための希望を持つことだと言えるのだ。

同じことがクルマにも言える。
一通りの点検整備は済ませてあるものの、ちょっと気になっていた部分の修理(シートの染抜きやワイパーの交換や異音の対策など)を済ませることで、『クルマでもいつでも出掛けられる』状態になる。
完治して退院したら、温泉行くぞ、温泉。命のリフレッシュだ!
こういうのもまた、生きるための希望と言うことができる。


そんな感じで趣味に関する道具を片っ端からメンテナンス。
挙句の果てにはお風呂のシャワーヘッド清掃や風呂のふた交換までやったりと、静養するという一時帰宅の目的を逸脱したポジティブっぷりを発揮する今日この頃。

要は、深層心理では怖いんだね。病気が。

「闘病生活が終わったらやりたことができる!」

という状態にしておかないと病気に向き合う勇気が持てないとか、そんな感じ。

まぁ、そういうチキンな部分も含めて自分という人間なんだと考えることにして、ポジティブに動きたいのならそれはそれで良し、と思うようにした。

ただし散財には注意せねば…
本当は、服をたくさん買いたいのだよ…
 

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