Windows Vista開発史
夢を見て、そして現実に目覚めたときの落胆。
Windows Vistaっていうのはそういうもんじゃないのかな、と。
しかしそれは、Mac OSを見続けてきた者にとってはよくある光景であり、OSなんてそんなもんさ、っていう気にさせられるのだが、Windowsだけを見てきた人にとっては結構ショッキングなことかもしれんねぇ。
ヘタに満足いくOSが出てしまうと、その次に行く明確な理由がなければ、消費者は着いていかない。
幸いにしてWindowsXPは、従来のWindowsの使い勝手に堅牢性が加わった、ある意味理想的なOSだったという気がしないでもない。
堅牢さを手にしたOSが進化したことといえば、インターネットを快適に閲覧することと、音楽、画像、文書を統合的に管理するアプリケーションが登場したぐらいか。
インターネットがコンピュータを操る目的の大半となった今、インターネットに関わる以外の要素は専用の質のいいソフトがその役割を十分に満たしており、OSが敢えて頑張る必要はどこにもない。
だからこそ、人々のVistaに対する興味が沸き起こらないんだろう。
セキュリティの問題は当然対応されるべき問題であり、あえて語る必要も無いが、次世代OSとしての可能性を見出すならば、それはすなわち検索だろう。
目的のファイルが、少ない情報からでも確実に見つけ出すことが出来る環境。
これはOSが果たすべき役割だ。
特に画像や音楽ファイルの検索は、メタ情報を付加して管理する以外に、画期的な検索アルゴリズムが搭載されれば、どんなファイルだろうが断片を思い出せばなんとか見つけ出すことができるようになる。
マイクロソフトも、未来のOSの姿は検索機能に掛かっているという自覚はあるようで。
おそらく、マイクロソフトが実現したいOSっていうのは、最終的にはこういうもんなんだろう。
Appleでいうところの、KnowledgeNavigatorみたいなもんかと思うが、コンピュータ(OS)の進化っつうもんは、あくまで人に優しくという方向性に進化していくべきものであり、決してアプリケーションの機能をOSが取り込むという意味ではないはずだ。
統合されるからには、それによってどれだけ人に優しくなったかというところが評価されるべきだろう。
わかってるけど作れない。
マイクロソフトのジレンマみたいなものが、Ms.Deweyみたいなネタで憂さ晴らししてるんだろうと考えてみる。
Vistaに腹を立てる前に、Ms.Deweyをボーっと眺めていると、なんかどうでもよくなってくる気がしないでもない。
この記事へのコメント