スジャータの想い

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■スジャータ
釈迦は6 年にわたる生死の境を行き来するような激しい苦行を続けたが、苦行のみでは悟りを得ることが出来ないと理解する。修行を中断し責めやつしすぎた身体を清めるためやっとの思いで付近のネーランジャー川(尼連禅河)に沐浴をしたとき、たまたまスジャータが森の神に供物の乳糜(牛乳粥)を捧げるために付近を通りかかり、川から上がったもののまさに命尽きようとしていた釈迦にこの供物を捧げた。


なんて話を、ばあちゃんの二十三回忌の席で住職が話してくれた。
如来と菩薩の違いとか。修行の意味とか、生きる意味とか。
なんか説教好きの住職っていうのもおもしろいもんだ。

「大晦日には煩悩を落としに鐘をつきにいらっしゃい」

などと言われると、あぁこうやって動機があると寺に接する理由ができるんだなぁ、などと思ってみたりして。
そのまま粘って初日の出っていうのもアリなロケーションだし。

横浜の地が一望できる墓地に眠る、中学の頃にお別れしてしまったばあちゃんのことを思い出した。
そして、これを見ながらちょっとだけ泣いた。
 
泣いたついでに調べてみたら、どうやら絵本になったらしい。

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まだ2ちゃんのFLASHブームが健全だった頃のおはなし。
そしてオチはこれだ。
本書の売上の一部は交通遺児の支援団体に寄付されます。

し な い 善 よ り す る 偽 善



これを謳えば2ちゃんねるを題材に何をビジネス化しようが許してもらえる魔法の免罪符。

でもいいんじゃないの?
オリジナルのFLASHへのリンクが強調されてるあたり、のまねこ騒動で学んだことは大きいようで。

そして、某氏よりいただいたコメント
あー、たぶんエイベックス関係者は
立ち止まるとその場で蒸発して魂ごと消えます。


激しく同意。
 

この記事へのコメント

  • もるび

    職場が変わってちょっと疲れてきたころでしょう。
    なかなかみんなの予定を合わせることができませんが、お一人でも、たまにはうちの犬でも見にきてくださいな。少しだけ癒されますよ。
    癒されたら、ちょっとだけがんがって歩きましょう。
    2006年10月22日 18:51

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