マツダ車のある風景

クルマが売れなくなったという報道が連日紙面を賑わせているが、その理由として”魅力的なクルマがなくなったから”等というもっともらしい分析を見ると、なんだか微笑ましくなってしまう今日この頃。
本当の理由は別のところにあるが、確かにクルマが嗜好品から道具としての日用品に変容しているのは事実であり、その分愛着が沸くような魅力的なクルマが少なくなっているのも事実としてある。

で、これはメーカーによって顕著なのだが、きちんとクルマとしての魅力を追求しているメーカーは、未だに嗜好品としてクルマ選びをしている連中を惹きつけている。
その代表格がスバルでありここ数年のマツダであったりするわけだ。
反面、客離れの深刻な昨今の日産の窮状は、マツダやスバルと逆ベクトルのクルマ作りをしているから、とも言えるわけだ。

オーナーがクルマを嗜好品として見ているかどうか、それを量るのは実は凄く簡単なことで。
オーナーがクルマを入れた風景写真を撮りたがるかどうか、ただそれだけだ。

お気に入りのクルマでお気に入りの観光地へ出かける。
その記念として、風景の一部に自分の車を収めた写真を撮る。

そうした嗜好を持つオーナーの比率が高いのが最近のマツダの特徴で、マツダ自身もそのことはよくわかっているようで。
第9回になるが、『マツダ車のある風景展』』というのを開催している。

クルマと風景を収めた写真を撮るっていうのは、結構難しい。
写真の主役を誰にするのか。クルマなのか風景なのか。
クルマ好きが写真を撮ると、どうしても主役をクルマに置いてしまうので、他の人から見た時に単なる自慢にしか見えなかったりする。
「あぁ、カッコイイね」というのと「あぁ、いい写真だね」っていうのは違うんだなぁ、これが。

応募作品を一通り眺めると、その解釈によって写真の出来栄えが異なっているのがよくわかる。
まぁ、こんなもんは究極の自己満足なので、オーナーが好きなように撮ればそれでいいのだが、”カッコいいマツダ車の風景”と、”マツダ車のある風景”では意味はまったく異なる。
写真展なのだから、自己満足ではなく、写真として広く訴えかけてくるのはるのは実は後者の方が多かったりする。
その意味で、おいら的にオススメなのは23番のこの写真がいいかな、と思いますた。

もちろん、他にもいいのはいろいろあるけどね。
過去のアワードについてはこちら。


それにしても、オーナーにこうして愛される理由っていうのは、自分の人生のストーリーの一部としてクルマが語られることにあるんじゃないかと思ってみたりしたわけです。
おいらもプジョーのある風景なんていう写真を撮ってみようかな。
  
 

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