先生の確認によって、うちのばあちゃんは94年の生涯に幕を閉じた。
安らかに息を引き取るという表現をよく耳にするが、ばあちゃんの最後は、まさしく”安らかに”という表現がピッタリくるように、静かに息を引き取った。
6人の子供に8人の孫。
事情で来れない数名を除いて、ほとんど皆に見守られながら。
お通夜、告別式には遠くから縁のある人達がわざわざ訪れてくれて、生前の話をいろいろ聞かせてくれた。
また、通夜のお清めの席で、住職がばあちゃんの思い出話を聞かせて欲しいと、ずいぶん熱心に話し込んでいた。
告別式でお経を唱えた後、生前にどのような人物だったかを、ずいぶん丁寧にまとめて話してくれた。
今まで見てきた葬式の中で、お坊さんがここまでやてくれた例はなかった。
最後の面倒をみてくれた病院の先生、看護士さん、そして式場のスタッフやお坊さんまで、いい人たちに囲まれて、ばあちゃんも嬉しかったことだろう。
実は、最後までばあちゃんに言えなかった事が3つあった。
それをどうしても伝えたくて、昨晩遅くまで手紙を書いていた。
米寿の一族集まってのお祝いの席を、引きこもりをこじらせてサボったことのお詫び。
そして幼少の頃、お地蔵さんにそなえられた賽銭をきちんと置き直してあげようとしたら、賽銭泥棒と勘違いされてめちゃくちゃ怒られた事の弁明。
最後に、8人の孫のなかでおいらだけ結婚式に招待できなかったことの後悔。
久しぶりに書いた直筆の手紙は、小学生も真っ青の汚い字だったが、それでもおいらの気持ちは一生懸命書いたつもりだ。
どうか、あの世に行く途中にでも読んで欲しい。
今回のばあちゃんの最後を看取るという経験で、いろんなことを考えてみた。
人との繋がりこそが、自分にとっての最後まで残る財産であるということ。
子供や孫とのふれあいが思い出となり、それが生きた証として残っていくということ。
だからこそ、人は伴侶を求め、子供をつくり、そして自分のDNAを後世に伝えていくことが自然なことであり、諸事情があろうとも、その努力は続けるべきであるということ。
いろんな価値観、生き方を否定するつもりはないが、自然に生きようと思えば、自然とこうした結論にたどり着くんじゃねーの?とか思ってみたりして。
いつかは来るであろうおいらの両親の最後の時には、いい人生だったと振り返ってもらえるにしてやりたい。
おいらの幸せと、おいらを取り巻く周りの幸せ。
そんなことを考えると、一日一日がなんだかとっても大事な気がしてくるわけですよ。
まぁ、おいらもこういう考えになるのに30余年を要したわけだが。
この記事へのコメント
なおなお
祖母に病院の売店で買い物をするように言い付け、
祖母が買い物に行っているほんの10分の間にひっそりと亡くなっていた。
確か3人部屋だったが、同室の誰も祖父が亡くなったことに気が付かなかった。
祖父は若い時から「格好つけ」で、人に自分の弱みを見せない人だったらしい。
その祖父らしく、誰にも看取られることなく自分勝手に旅立っていった。
癌で、だんだんと弱っていく祖父に皆がやさしく接していたが、自分はいつものようにずけずけ物を言い、祖父の意見を否定したりもした。
周りから「なおくんはそんな言い方しなくてもねぇ」などという雑音が聞こえていたが、同情されたり手を抜かれたりすることが嫌いな祖父に自分は対抗した。
帰省したときに病院で話した最後の話題は「日本の銀行の行方」だったが、いま思えば祖父の論が正解だった(苦笑)
変わり者で、母にはすごく厳しかったらしいが、
あんなに祖父の文句を言っていた母が、祖父の枕元で何も言わず一粒涙を流したのが忘れられない。
天国で孫が同じ仕事に就いているのを笑っているだろう。
「ほら言った通りだろ?」と言われているに違いないな。
長文スマソ。
デンジン
仕事も自分自身の身辺もまったく手付かずでだいぶ周囲の人間に迷惑をかけましたw
まあ、無二の親族とは生きているうちに色々話をしたりやっておいたりしたほうがいいですね。祖父母もそうだし、特に両親とはね。
16で父を失った男の意見として耳を傾けておいてください。
海鮮丼太郎
それぞれ想いはいろいろありんすね。
2ちゃんでもカーチャンスレが爆発的に伸びるように、皆心の中では大切なことは何かっていうのは理解できてるんでしょう。
ただ、それを表に出せるかどうかっていうところの違いかなぁ
>デンジンさま
ってことで、結婚するぞ宣言おめでとうございますw
おいらも負けずにがんがります。っていうか、勝負だ!