葬式が続いていた。
比較的親しくしていた知り合い関係と、親戚と、会社関係と。
それなりと言っては失礼なのだが、やはりどうも他人事として引いた目で見てしまう自分がここにいる。
まぁ、実際そんなもんだろう。
亡くなった方の人と為りは、話を聞かせてもらったりすることである程度身近に感じることもあるが、基本的に故人に対しては、『多くは存じ上げませんでしたが、安らかに御眠り下さい』って祈るぐらいしかおいらにできることはない。
幸いにして、ここ十数年近く、直接的に身近な人を送り出すという機会に遭遇していないため、葬式を一種のセレモニーとしてしか感じていなかったのだが、ついに避けようのない状況が迫りつつある。
唯一残った母方の祖母が、94歳にしていよいよその時を迎えようとしている。
3月に肺炎の疑いで入院したものの症状は比較的安定しており、会いに行けばその表情は穏やかで、こちらの問いかけにも反応してくれていた。
しかし、一ヶ月前からだんだん状況が芳しくなくなってきた。まぁ、寿命といえばそうかもしれない。
昨年末に、兄貴の結婚式に自分の足で歩いてやってきてくれたのを見ているだけに、もう歩けないのかという現実を受け入れるのにちと時間を要した。
それにしてもなんでこんなに動揺するのか。
今はもうしわしわで細くなった腕で、小さい頃おいらは抱き上げてもらった。
しょっちゅう会える訳ではなかったが、それでも多感な時期に一緒に過ごした思い出というのは、命の重みを理解できるようになった今ではおいらを激しく揺さぶる。
恐らくこれは、おいらを構成している一部の喪失に対する恐怖心なのかもしれない。
願わくば、このまま苦しまずに看取ってあげたい。
今更どうしようもないわけだが、荏原病院の診察ミスで悪性腫瘍(要するにガン)を見落とし、両膝がパンパンに膨れて痛そうなばあちゃんを見るのがしのびない。
さて、病院も変わり、モルヒネで痛みを和らいでもらっている状況で、延命治療もせずゆっくりと最後の時を待つ。
残念ながら駆けつけることができなかった一部を除き、皆が最後を見守るために集まった。
「人間って、生まれてきた時と旅立つ時にいっぱい見つめられるんだね」
そんなコトバにおいらは涙が抑えられなくなった。
世の中、もっと身近な人を亡くして、それでも毅然としている人がいっぱいいる。
素直においらはそうした人たちを尊敬しちまうし、逆にこれほど動揺するおいらがどうかしてるんじゃないかとも思う。
ただ、これだけ集まった親戚ひとりひとりとのつながり、子孫を残していくことによって、その生きた意味を再確認できる幸せ。
ばあちゃん、あなたの人生は楽しく幸せだったでしょう?
ばあちゃんの手をさすりながら、残されたほんの少しの時間を一緒に過ごす、そんな徹夜明けの病院の一室。
この記事へのコメント
もるび
嫌だけれど、つらいけど、避けられない現実として
増える世代になってきたのですね。
心からおばあさんのご冥福をお祈りします。