あんまし煽りたくないけれど。
明日の株価を見てから書こうかと思ったけど、とりあえず浜岡記念ということで備忘メモも兼ねて書いときます。
震災によって早まった日本の“未来”、ピンチをチャンスに変えるために(前編)
前編でこういうロジックを組んで後編でどう希望を抱かせる展開にするのか興味があるわけですが、現実問題としてはここで指摘されているとおり、事実として産業の空洞化の懸念は高まっているというわけでして。
簡単に言えば、仕事がどんどんなくなっていく可能性が高まるわけですな。
特に代替のきくような職種、例えば(良いか悪いかは置いといて)派遣労働者のような雇用形態だとますます失業のリスクが高まるわけでありまして、そうならないようにするにはどうするか、というのを自分自身で真剣に考えなければならないとも思うわけであります。
そこに追い打ちを掛けるように浜岡フィーバーであります。
原発については無いに越したことはないわけですが、いろんなところで言われているように、停止するにはその前提条件がきちんと整っている必要があるわけで、そこんとこどうなのよ?ということで各方面の発言なんかをうぉちしていると、どうやら本格的に思いつきだったというオチになりそうでありまして、ダメージを負った東日本に加えて何の問題もなかった中部、関西方面への主に心理的なダメージはかなり大きい物と推測いたします。
えぇ、乗りたくありませんよ。
このビッグウェーブには。
しかし、この不幸な時代に生きてしまった以上、受け止めなければならない事もあるわけです。
で、正直言っておいらたちの世代はそれでもなんとかなるんじゃないか?などと甘いビジョンを描きたくもなるわけですが、問題はおいらたちの子供世代はどうするの?という話でありまして。
端的に言って、日本という国に面倒を見てもらうという考えは捨てたほうがいいんじゃないかと思うわけです。
別に国籍まで捨てろとは言いませんけど、国内で職を得て、幸せに老後まで過ごすなんてビジョンはとてもじゃないけど描けないと思うわけです。極一部を除いて。
そうなると残されるのは、海外に活路を見出すってなことになるわけでありまして、実際にそういった行動を起こすかどうかは別として、親としては少なくともそういう選択肢が持てるように導いてあげる必要があると思うわけです。
選択肢を持つための最低条件としては、言うまでもなく言語力であるわけですが、ろくに正しい日本語すら教えられていない現状で酷な話ですけど、やはり最低でも英語、そして中国語ぐらいは読み書き出来るぐらいのスキルを身につけさせてやるべきじゃないかと思いますよ。
好き嫌いの問題じゃなくて、そうしておかないと将来困るって話でありまして。
もちろん、こうしたスキルを身につけた上で、日本という国で働いていこうという選択をすることも自由なわけです。
自由なわけですが、スキルがなければ選択もできない、ということを考えておくべきだと思うわけです。
呑気に原発反対とか騒いでるヒマがあったら、子供の将来について真剣に話あう時間を作ったほうがいいと思いますよ。
それが、子供たちの世代にとんでもないことを押し付けてしまったおいらたちの世代の責任ってものだと思うわけであります。
その前に、我が家は子供を作らなければならないわけですが。
ああこりゃこりゃ。
この記事へのコメント
もるび
が、
すわ!おめでたかっ、と思ったわけでありまして・・・
海鮮丼太郎
コウノトリさんも放射性物質が怖くて我が家に飛んできてくれませんよ。
キャベツ畑も然り。