センスと覚悟



こちらの騒動をよそに、あちら(北米)では相撲取りが大活躍。

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SEXY COMES STANDARD

っていうか、フォレスターがCMにスモウレスラーを起用するのは恒例だったりするわけで、こういう攻めのCMを流せるというのは北米においてスバルが好調である証と言うことができるのかもね。

スモウレスラーは海外ではCMでの起用が多いわけだが、本来だったら醜いと思われかねない映像も、逆にセクシーギャルのパロディとして昇華させることでいかようにもイメージを高めることができる。
要は使い方と、それを許容するセンスと覚悟がモノを言うわけだ。

クルマとしてのフォレスターは好きではないが、こういうCMにGOサインを出せる北米スバルの経営陣は好きだw

スモウレスラーは言うまでもなく日本のイメージを象徴するものであり、神秘的かつ愛嬌のある存在だ。
気持ち悪いとかいう向きもあるだろうが、相撲に対するリスペクトと、日本が誇る相撲という文化に対する自信がなければこんなCMは作れないぞ。

結果として北米においてフォレスターというクルマは、スモウレスラーのイメージがついて回ることになるわけだが、それはCMがきちんと機能している証拠でもあるわけだ。
タレントに変な踊りをさせることで注目を集めても、ちっとも商品の認知度が高まらないどこかの国のCMとは覚悟も格も違う。

ただしこれはイメージ戦略のためのCMであって、全部が全部こんなCMというわけではない。
スバルの名誉のために言っておくと、こんな素敵なCMも作れるのだ。



人とクルマの関係性。
誰もが共感できるメッセージを発することもまた、クルマという存在を認知させる重要な戦略だったりするわけだ。

クルマのコモディティ化なんてものは日本に限らず欧米でも同じような状況になっている。
しかし、クルマは単体の商品ではなく、それにまつわるさまざまな人生のドラマがある。

日産のセレナで「モノより思い出」というコピーを使ったCMが流されたが、まさしくそのとおりだったりするわけだ。
(惜しいのは、このCMは単なるキャッチコピー以上の説得力を持たせられなかったことか)

そういうエモーショナルな部分に訴えるのは、実はとても有効なことなわけだが、なぜ最近の日本の自動車メーカーはそれを避けるんだろう?

上記のCMを観て思い出したのだが、日本にもすごくよく出来たイメージCMがあったんだよなぁ。
トヨタがつくったCMで、子どもが出来たとかでファミリーカーに乗り換えることになり、今まで乗っていたセリカが引き取られていくさまを複雑な表情で追いかけようとするダンナさん(ヒロミだったかな?)というもの。

15年ぐらい前に流れたCMだったと思うが、ああいうのこそ今の時代には必要なんじゃないかと強く思う次第でありますよ。
あの当時でさえすげぇ切ない気持ちと共感の気持ちが湧いたから、今のおいらだったら涙腺が緩むかもしれない。
それぐらい素晴らしいイメージCMだったんだよ。

クルマとは何か?
それは「移動の自由をもたらしてくれる存在」であり、「人生の一部を共有する存在」だったりする。
その部分を、CMで表現してみたらどうだい?
 
冒頭の話から脱線しちまったが、クルマのCMっていうのは、さまざまな可能性があるんだよって話でしたとさ。
 

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