CMカット機種、生産中止へ…民放批判に配慮
こ・い・つ・ら・バ・カ・か?
民放テレビは広告収入で運営されている。
広告主は広告費を払う代わりにテレビを通じてCMを流す。
この2つの関係性が成り立っている以上、CMを飛ばす機能というものが問題視されるのはわからないでもない。
というより、よくわかる。
三菱電機がVHSビデオレコーダーにこの機能を搭載したのは1990年頃の話だが、その頃からCMを飛ばして番組を見たいという一定のニーズがあったわけだ。
最近は民放テレビが「終わコン(終わったコンテンツ)」などと揶揄されたりするが、それ以前からCMそのものが終わコンになってしまったからこそ、CMを飛ばしたいという欲求が生まれ、それに応える形でCMスキップを搭載したレコーダーが出てきたという流れじゃないのか、と。
サンヨーが録音したラジオ番組からトーク部分を飛ばす機能を搭載したレコーダーを発売したときにも感じたことだが、そもそも“飛ばす”という機能は何が原因になっているか?ということを考えるべきだろう。
つまり、“飛ばす”部分は自分にとって必要ない情報と認識されているということだ。
上記のレコーダーの機能で言えば、FMのラジオ番組ではDJのトークがつまらないから飛ばしたいというニーズがあって、サンヨーはそれに応えただけだろう。
同じようにCMスキップがなぜこれほど支持されたのかと言うと、“CMがつまらないから飛ばしたい”というニーズがあるからに他ならない。
もちろん、あらゆる属性の視聴者を相手にしているわけだから、すべての人が興味を持つようなCMを制作することなど不可能なわけで、必然的に最大公約数の人に向けてCMが作られているという現状があるわけだ。
しかし、その最大公約数の視聴者がCMをスキップしたいと望んでいるのだから、CMの目的がまったく果たせてないじゃないか、と。
それに輪を掛けているのがテレビ番組の構成だ。いわゆる「続きはCMの後で」という煽り方が、逆に視聴者にCMをスキップしたいという欲求を増幅させているという皮肉。一向に改まらないということは、わざとやってるとしか思えない。
広告主はもっと賢くならざるを得ず、また賢くなればなるほど現状の民放テレビを取り巻く仕組みが機能していないという事実を重視するようになるだろう。
それで困るのは民放テレビ局ということになるのだろうが、自らの首を喜んで絞めているんだから救いようが無い。
また広告主は、自分たちが作って送り出しているCMが視聴者に届いていないという事実を、「つまらないCMを作っている自分たちの責任」という認識に改めなければならない。
CM好感度調査で上位に来るのは決まってタレントを起用したものだったりするが、だからといってそれが本来のCMの目的どおりの効果を挙げているか?と言う点をきちんと分析しているのか甚だ疑問だ。
っていうか、おもしろいCM作れよ。
言いたいのはそれだけだ。
「CMは究極のショートフィルムだ」という持論を持つおいらにとって、邦画と同様に日本のCMでおもしろいと思うものに出会うのは年に1本か2本ぐらいだ。
逆に海外CMのDVDなんかが発売されれば、片っ端から買っている。
買うに値するだけのクオリティがそこにあるからだ。
翻って日本では、CMを作品として集め、販売するぐらいの質を持ちえているか?
答えは限りなくNoに近い。
コカコーラCMクロニクルズとか・・・
スカイライン CMコレクションとか・・・
いくつかこうした国産CMの作品集が出ているものの、総じてこうした商品化に耐えられるほどのクオリティを持つCMは少ない。
権利処理も含めて、日本のCMをきちんとアーカイブして評価する土壌が整ってないことがいつまで経っても未成熟な状況を生んでいるんだろうなぁ、と。
日本のクリエイターに能力が無いとは思いたくない。
結局は広告主が望むこと以上のものは作れないわけで、CMのレベルが低いのは、広告主のレベルが低いということだ。
スーパーボウルの中継で流されるCMがなぜあれほど熱狂を持って迎えられるのかということを考え、それを日本という市場においてどう解釈するかを改めて考え直す時期に来てるんじゃないの?
どう考えたって民放テレビ局も、CM制作会社も、広告主も視聴者のこと本気で考えてCM作ってると思えないもん。
しかしまぁ、冷静に考えればCMカット機能がなくなってもオートチャプターの機能は残るし、早送りもx10とかあるわけだから利便性が少し下がるぐらいで大した影響は無いという見方も出来るが、これだけはハッキリしている。
今の番組、CMの作り方が続く限り、消費者はCMを飛ばし続ける。
そしてテレビ番組の広告効果は下がり続ける。
つまり、何の解決にもならないということだ。
根本的な部分が変わらない限り、テレビの終わコン化は止められないと思うよ。
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