ヤマトについては語っておかなければならないだろう

 
やはりこれは語っておかなければならないだろう。

そんなわけで、快晴で過ごしやすい土曜の昼間であったにも関わらず、一週間の疲れを癒すためにひたすら寝てたのだが、日が落ちた頃にようやく起き上がって出撃準備。
そう、今日こそヤマトを観に行くのだ。

場所は久しぶりの南町田のグランベリーモールにある109シネマ。
1番スクリーンということで客席数は最大級だったが、レイトショーという事もあってほぼ満席。
特に普段映画館にはあまり足を運ばないであろう中高年の姿が多かったのは「ヤマト」の映画であるが故の現象なのだろう。
ただし、上映が始まってから席に着く者や、ケータイをピカピカさせて外に出て行く者、途中トイレに行く連中がやたらと多かったのは、映画を観慣れていない証拠だろう。
気が散ってしょうがない。かんべんしてくれ。

ってことで、そんな普段あまり映画を観ないような客層までガッチリと掴んだヤマトではあるが、個人的な感想を言わせてもらうと…

「与えられた状況の中ではよく頑張った」

というものだ。
この感想はどちらかと言えば褒め言葉の割合の方が強い。
少なくとも一部で絶賛されている「ヒックとドラゴン」なんぞよりは、よほど印象に残る映画だった。

現在の日本の映画産業は、BigBudget作品はほぼ例外なく制作委員会方式を取っているわけだが、某プロデューサーの言葉を拝借すると、そうした出資者に必要とされている企画は以下の通りだそうだ。
・誰もが知っている有名な企画(有名原作や人気テレビドラマ、社会現象、流行など)
・テレビ局が出資する内容(もちろん上記条件と重複するものが多数となります)
・過去に興行実績がある俳優を複数(できれば多数)キャスティングすること
・予算とスケジュールをオーバーしない監督
・海外の映画賞・映画祭で、高い評価を受けた作品(過去形であることは意図的です)
こうした制約の中で「ヤマト」という題材を映画として企画する上では、失敗するリスクが非常に大きくなる中で、なんとか踏みとどまってカタチとして仕上げたというところに意味があるんじゃないかと思えるわけで。

映画好きにはツッコミどころ満載の脚本であるが、大して映画を観ないような層でも状況が理解できるように、極力2010年の知識でわかるようなセリフ回しが多く、たとえばそれがレアメタル採掘であったり、古代が持つコミュニケーション端末であったり、ふだんお目にかかっている109キーボードだったりするところは、2199年ともなればそれなりにテクノロジーは進化しているはずであろうが、あえて深く物語の世界観を考えなくても済むような配慮と言えなくもないわけで。
だって、初老の夫婦にSF的な説明を細かくしてもしょうがないでしょ。だってこれ、ヤマトだよ?

で、そんなことを言いつつも、ヤマトのファンを唸らせるような演出箇所があるにはあるものの、基本的には「原作:西崎義展」に忠実な演出であるがゆえに、後に対立した松本零士が本来伝えたかったメッセージ(「美化するためにキャラクターを殺してしまってはいけない」)が感じられないのはちょっと残念だった。
特に、1と2のストーリーをミックスしたような脚本であるがゆえに、ストーリー展開が自ずとアレな方向に進んでいくのはまぁいいとしても、そのひとつひとつのシーンにもう少し原典へのリスペクトが欲しかったというところでありまして。

たとえば…
山本君、敬礼するときは左手だよ、とか。
フェイスハガーにとりつかれても、それはそれでしばらく話が進んじゃう「エイリアン」みたいな感じ、とか。
沖田艦長役立たず、とか。
ゼビウスロボを彷彿とさせるコスモゼロの変形、とか。
放射能除去装置に関する顛末は小説版並のびっくり展開、とか。

いろいろ言いたいことは山のようにあるわけですが、冒頭のガミラス艦隊に歯が立たない地球防衛軍のトホホっぷりを現代の技術できっちり見せようとしてくれただけでも、おいらは涙腺がウルっとしてしまいましたよ。
ギャラクティカとの相似を挙げる人も多いですが、俯瞰で見せる演出はどうしてもそういう絵にならざるを得ず、またその影響を受けていることは否定できませんが。

で、多くの人が言うほどキムタクの演技がウザいと感じなかったのは、ふだんおいらがキムタクの出ているドラマをほとんど見たことがないから、という点を割り引いたとしても、古代進=キムタクというキャスティングは、この企画を成立させる上では決して悪い判断ではなかったと思っております。

ヤマトがダメな映画だと切り捨ててしまうのは簡単なんですよね、実際。
その方が周りのウケもいいと思うし。
ただそれって、批判のための理論構築をせっせとやってるだけだったりしてね。
宇多丸師匠がシネマハッスルでどんな批評の構築をするかというのもだいたい予想がつくので、それはそれで笑って聞き流すぐらいの度量はおいらにもあるつもりだが、だからといって皆が皆同じように叩いてもしょーがねーじゃん。

2010年にヤマトが実写映画化されたという事実と、その祭りに乗っていろいろとヤマトに対してあれこれと話ができたトータルの体験こそが、「SPACE BATTLESHIPヤマト」という映画がおいら達に与えてくれたものだということ、強く思う次第。
そこには映画のデキがどうこうということはあんまり関係なかったりもするものなのだ。

ただし最後にこれだけは言っておく。

『世界に通用するヤマト』って宣伝文句にだけは賛同できない。
だって、アニメというバックボーンを知らない海外の人にとっては、昔あったスターウォーズのパロディで宇宙を飛ぶトースターと同じような絵に見えるんだぜ?

この記事へのコメント

  • なおなお

    「与えられた状況の中ではよく頑張った」には完全同意です。
    思い入れがある作品なのでいろいろ言いたくはなりますが、あの尺の中に収めたことだけでも評価できます。

    キムタクの古代も悪くは無いと思いました。
    アニメの古代を実写でやられても嫌な奴に感じてしまうでしょうから、少し軽めのキムタク古代はちょうどいいかな。

    ただ残念だったのは、ヤマトの様式美を理解していないこと。
    あっさりした出発シーン、回頭するのが速すぎる主砲、唐突なワープなどなど・・・。
    歌舞伎の見得のような間合いが足りないと感じたのは自分だけでしょうか。
    あの無意味に感じる手間がコンピューターでは無く人間が動かしているヤマトの魅力なんだから。

    とりあえず、第三艦橋には配属にはなりたくはないと再認識させられた作品でした(苦笑)




    2010年12月09日 21:14

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