この組み合わせを聞くと頭の中でプチっと音のする人が少なからずいるだろう。
もし、ちゃぶ台が目の前にあったら、渾身の力を込めてひっくり返す輩も、10人や20人どころでは済まないのではないか。
少なくとも、おいらはその一人だ。
任天堂のテトリス。
それは、敗北のコトバ。
任天堂のテトリス。
それは、大人の汚らしさの象徴。
任天堂のテトリス。
それは、呆然自失の涙。
おいらは忘れない。
あの、BEEPの片隅に載った発売中止のコトバを。
そして、資本の論理に敗れた、セガの姿を。
ってことで、世界中で大ヒットしたテトリスと、そのヒットを支えた任天堂のゲームボーイ。
その後さまざまなゲームプラットフォームに移植され、今ではケータイの定番ゲームとしての位置を不動のものにしたテトリスが、改めて任天堂の携帯ゲーム機に帰ってきた。
・・・今でこそ最も応援しているプラットフォームメーカーは任天堂だが、かつてセガと共に世界制覇の夢を見ていたおいらにとって、任天堂は最大の敵であり、金にものをいわせる傲慢なメーカーとして、汚い大人の象徴だった。
もしあの時、セガのメガドライブでテトリスが発売されていたら。
あのゲーセンの興奮を家庭で死ぬほど楽しめたのなら。
歴史は少し違っていたかもしれない。
インベーダー以降、ゲーセンに一般人を最も多く引き込んだゲームがセガのテトリスであり、その完全移植版がメガドライブで発売されれば、スーファミを押しのけてメガドライブがメインのゲーム機として認知されることも可能だった。
任天堂は、その前に動いた。
開発元へ乗り込んで、テトリスの販売に関する独占契約を取り付けてしまった。
(実際は権利関係がごちゃごちゃしていたところを、任天堂が大元ときちんと契約しただけなのだが)
そのために、メガドライブ版のテトリスは、発売を目前にして中止の告知をせざるを得ず、おいらたちゲームマニアは一斉に任天堂に対してブーイングしたものだった。
しかし、世間一般ではゲームボーイとテトリスが最も認知されることになり、任天堂はその地位を不動のものにした。
もちろん、任天堂はテトリスがキラーコンテンツであることがわかっていたからこそ、電撃的な契約に素早く動いたということなんだろう。
それに対してセガは脇が甘かったと言われても仕方がない。
比較的資本の論理といったところからは無縁の世界だと思っていたビデオゲームの世界に、金に物を言わせてでも競合を潰すという激しい戦いが始まったのは、この頃からだったんだろう。
そしてセガは、天下を取りえる最大のチャンスをふいにしてしまったのだった。
この現実を受け入れるには15年以上経過した今でも、まだ時間が足りない気がする。
しかし今、テトリスというシンプルなゲームに、Wi-Fiを使って世界中の連中と対戦できるという、たったそれだけの要素を追加して、NintendoDS用のテトリスが発売となった。
おもしろいことはわかっている。
ただ、素直に受け入れられないのだ。
あのときの悔しさが、おいらの頭の中でグルグルとリフレインしている。
大人になれよ、と人は言う。
しかし、子供のときの記憶を消し去って、現実の楽しさだけを享受するのは、大人になるのではなく単に逃げなのではないか?
ここで受け入れてしまうことは、むかしの自分に対する裏切り行為じゃないのか?
だいたい、マザー3はどうなったんだ?
そんなにゲームやってる時間もねーだろ。
そもそも、テトリスなんて・・・
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うるせーな、ばーか。
かかって来やがれ、こんちくしょう。
この記事へのコメント
ノーマル・ロム・ゲスト
海鮮丼太郎
あの文法があってこそのテトリスです。
PC版もファミコン版もクソですよ。
でも、豪華スタッフ陣によるテトリス+ボンブリスだけは別格ですwww