変わる消費

モノが売れないとか言われるになって久しい。特に、娯楽の分野においてその傾向が顕著だったりする。
CDもゲームも、ミリオンタイトルなんてものは年に数える程しかなくなってしまった。

娯楽の形態が変わったとかいう見方があるし、一部では、ケータイ料金が諸悪の根源という見方もある。
そりゃまぁ、平均して月額1万円とかいう金が飛んでいくとなると、CDやゲームを買う枚数も必然的に少なくなるだろうし、全体的に金の掛からない娯楽を模索するようにもなるだろう。
おいら的には、趣味の細分化でそれぞれのコミュニティに属する絶対数が分散していったことが根本的な原因じゃないかという気がするんだけど。
ただ、それとはちょっと違う事が起こってるんじゃないかと考えてみる。

ひょっとして、所有するというスタイルが変わってきてるんじゃないかってこと。
正確には、"所有し続けるスタイルの変容"ではないか、と。
 
 趣味嗜好が細分化されたとはいえ、新しい商品、自分が直感的に欲しいと思った商品に飛びつく層は確実にいるわけで、間違いなく購入して満足感を得るという行為は今も変わってないんだろうと思う。

で、そうして飛びついて買った商品は、発売されると同時にAmazonやヤフオクなどで取引される額(=買取額)を概ね把握することができる。

話題があるうちに買って、需要があるうちに手放す。

そして、その差額がその商品の市場価値ということになるんじゃないかと思う。

で、最新の商品に興味があっても、財政的に余裕の無い消費者(第2層とでも言いますかね)が、オークションやマーケットプレイスに出品されるのを待っている。
だからこそ、ヤフオクで【美品】だの【新古品】といったコトバにみんな反応するわけだ。

別に、こんなことはネットが広がる前からあったんだけどね。
ファミコンソフトを買って、飽きたら売るっていうのは誰しも経験があるんじゃないだろうか。
(おいらのゲーム遍歴がマイナーなタイトルに偏っているのは、高額な超大作を避け、値崩れしたワゴンゲームを遊んでは売り、遊んでは売りという安値スパイラルから抜けられなかったからだというのは内緒の話だ)

ってことで、消費の視点が、有形無形を問わずすべての商品をコンテンツとして捉えはじめているんじゃないか、っていう気がするのだ。

最近話題になった例では、

高級ライダーベルトに問い合わせ殺到

ってな感じで、ライダーベルトを購入する消費者は、メーカーが立てた目標1万個というラインはクリアできることだろう。
だからといって、3万個売れるかというとそうでもない気がする。

ある意味、転売目的と自己満足のために購入する第1層が、美品の状態ですぐに売りに出す。その差額こそが、商品を楽しむためのコストとなるわけだ。
しかも、真っ先に商品をゲットして楽しみ、ブログでレビューを書いて、アマゾンにアフィリエイトを貼っておくだけで、ちょっとしたお小遣いになるかもしれないわけだ。
しかし、新品を買って欲しいメーカーは、こうして商品が自分のコントロール外で流通されても困ってしまう。
昔だったら第2層、第3層の消費者も集団心理で新品を購入したりしたところが、所有し続けることにこだわらない消費スタイルが台頭してくると、買わずに安くなるのを待つということになる。
すると、メーカー側は大量生産でコストを下げるという方策が取りにくくなってしまう。
商品単価を高く設定し、限定数にすることで消費者側の飢餓感を煽る戦略が台頭してきたのは、こうした消費スタイルに合わせるものじゃないかとすら思えてくるわけだ。
実際、数量限定品ってものは転売目的で購入するユーザが必ず含まれてるわけで、そこで高値で取引されることも人気の度合いを量るバロメータになるんだろう。

ただ、モノづくりなんかの視点から見れば、なんとも寂しい世の中になっちまったな、という気もする。
飢餓感を煽らなければモノが売れないというのも寂しいし、だからといって売れ残っても困るので少なく生産すると、本当に欲しい人の手に入らない。
結局のところ、実際の需要以上に売れることはないわけだから、そこをきちんと見定めることがプロフェッショナルの仕事なんだろうが、気まぐれな消費者がネットのおかげでさらに気まぐれ感を加速しているような気がしないでもない。
(1チップMSXの5000台っていうのは無茶だったなぁ、とは思うが)

オークションで定価以上の高値が付けられても、メーカーには一銭も入らないという不毛な状態になるか、実際の需要を見誤って多く作ってしまえば、不良在庫で叩き売られる。
モノづくりをする人たちにとっては、厳しい時代が続きますな。

しかし。
消費のスタイルなんてものは、人間の根本的な欲求に直結する要素であり、それが時代の流れとともに変化するのであれば、それに合わせて自分を変えていくしかないんだろう。
 
 

この記事へのコメント

  • 紀左衛門

    ヤフオクだの飢餓感の生成が云々の、目先の消費機会の肥大がモノを売れなくする状況を作っているんじゃないんだ。
    効用・意味・そしてそれを所有する自己愛が等価になった、我々のモノに対する欲望の結果、我々は「そこにあるモノ」にすらにも飽いているだけなんだよ。

    価値観のジェネレーターというか、古典ながら今なお消費欲生成のモデルになりうるボードリヤール的な差異コードの存在と、ワタシを飾る属性とワタシを彩るモノでワタシという存在を代弁することが可能な自己物語化社会の存在をいま一度、丁寧に丹念に熟考する必要があるのかもな。
    ただ、こういうのって自己言及的っていうんだよなw。
    2006年02月28日 03:20
  • ムウミソ

    現代では、モノに対する価値観の大半が、普遍的価値よりも、それに付随する話題性にのみ偏ってるような気がします。
    きわめて実用的なモノですら、メディアミックスしないと売れない時代な気がします。
    なお、ゲームにおける中古とかオークションによる第二市場については、ここに興味深い記事が。
    http://blog.goo.ne.jp/kazma777/e/28859f32671afd3d34d4de45cfe827a4
    2006年03月01日 00:01

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