あの日。(4)

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あの出来事から15周年が経ちました。

あんまし楽しい内容ではないけどね。
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上記の写真は、昨年と同じく事故の時にポケットに入れていたカギ。
こんだけ曲がってました。


去年までは覚えていたが、今年はすっかり忘れていた。
先ほど母親からメールが来て気がついたぐらいだ。

こういうのは親はよく覚えてるもんだね。
よく戻ってこれたと思うのと同時に、当時の両親に信じられないほどの負荷を強いていたことを考えると、叫び出したい気分でもある。

そんなわけで、年に一度のエピソード公開ということで思い出しながら書いてみることにする。

社会人になってまる1年が経過し、誕生日を東神奈川の済世会神奈川病院で迎えた。
永山病院から転院してきてからは、24歳の若さゆえ、その後の回復もかなり早かった。
屈辱的な扱いを受けることで、少しずつ実生活に戻れるようにとリハビリに励みつつ、日常の大半をヒマなベッドの上で過ごすというのは、なかなかツラいものだった。

で、その悶々とした時間をどう過ごしていたのかというと、友人が見舞いのついでに差し入れてくれるその手の本とCDプレイヤーでひたすら音楽を聴くという日々であった。

会社の先輩が自動車雑誌と洋ピン雑誌を持ってきてくれたりもしたが、その頃は典型的な二次ヲタであったため、当時飛躍的に進化を遂げていたエロゲーに関する雑誌が差し入れの中でも何より楽しみであった。
たしか「パソコンパラダイス」と「メガストア」をご指名で買ってきてもらったもんだ。

ついに居ても立ってもいられなくなって、コンピュータ関連の仕事をしていたこともあり、富士通のDOS/VノートPCを買ってしまった。
もちろん目的は、エロゲーをやるためであり、友人が「同級生2」を買ってきてくれたのが何より嬉しかった。
そして、エロゲーやるってことはそれなりに性欲が戻ってきたんだということも素直に嬉しかった。

まだ尿道にカテーテルは入れっぱなしで、これがいつ抜けるかわからないという状況(完全に回復するとも断言できなかった)だったことから、下世話な表現だが男性器としての機能を失わなくて済むんじゃないかという希望が沸いてきたことは、リハビリ(そして社会復帰)に対する意欲を大いに高めてくれた。

事故の翌日から感じ始めた右足の痺れは、その後も毎日継続して発生しており、眠れない夜が続くこともあった。
こうした場合、筋肉注射を打ってもらうと痛みが引いて、眠りに付くことができるのだが、そう何回も注射するのは良くないからと、お願いしてもダメと言われ、眠れない日々が続いたこともあった。

骨盤骨折により、足の裏側の筋の筋肉に支障が出ており、痺れもそれが原因だということから、リハビリの方針はとにかく右足を動かせるようになることを重点的に行うことになった。

リハビリと言っても1日1~2時間程度。
座った状態から右足を持ち上げるだけなのに、最初はそれがまったくできない。
筋肉が衰えてしまったことと、骨折の痛みが原因ではあるのだが、ひょとしてこのまま立てなくなるんじゃないかという恐怖を感じたのをハッキリと覚えている。

リハビリ開始後2週間ほどでなんとか立てるようになり、並行バーに掴まりながら少しずつ歩き始めた際の嬉しさもまた、ハッキリと覚えている。

歩くというのがどれだけ大変なことなのかを考えながら一歩一歩リハビリを続ける。

リハビリと並行して経過を観察していた尿道のカテーテルではあったが、経過を観察したところ問題が無さそうなので、抜くことになった。
手術は麻酔無しだったので、カテーテルを抜かれる際は激痛が走ったが、それでもやっと心配事から開放される嬉しさが勝っていた。

そし、トイレに行き、自分で小便を出せた時の感動は、言葉では語りつくせないほどのものだった。
あんまし人に大声で話せることでもないのだがw

あとはリハビリを重ねて早く社会復帰したい。
そんな思いを強くしたのだった。


6月の後半あたりから、自由に歩いていいという許可が出た。
逆に言うと、これからはどんどん歩いて、自発的にリハビリを行うように、という指示でもある。

松葉杖を使うことで病院内をあちこち歩くことが出来るようになったが、長時間歩けるようにするために病院の屋上を行ったり来たりを繰り返すという作業が一番効果的だった。
(往復でちょうど100mぐらい)

こんな時にはCDウォークマンの出番。
リッジレーサーのCDを聴きながら、ひたすら病院の屋上を往復する。
だいたいCDが2ループすると1時間だ。
これを毎日繰り返していたら、だんだんと歩けるようになってきた。

おいらのリハビリ姿はけっこういろんな人が見てたらしく、看護婦さんからもよくリハビリに励んでいると評価されるほどだった。
自分ではとにかく歩けるようになりたいという気持ちが強かっただけなのだが、褒められれば悪い気はしない。
リッジレーサーに加えて、当時ハマっていた大槻ケンヂの「ONLY YOU」も交互にローテーションしながら、CDウォークマンのバッテリーが切れるまで病院の中や周辺を歩き回ったものだ。




まだまだつづく・・・のかもしれない。
 
 

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