GTアカデミーレーシングチーム、ドバイ24時間レースを完走
『グランツーリスモ』シリーズプロデューサー 山内一典のコメント
「『グランツーリスモ』でトレーニングすれば、大半のドライビングテクニックは習得することができる。安全で速いドライビングのセンスが自然と身につく。
これは、『グランツーリスモ』を制作して以来の一貫した信念でしたが、今回のGTアカデミー・プロジェクトにおけるルーカス・オルドネス選手の活躍は、それを証明してくれたようです。
実際のサーキットドライビングには、フルブレーキングしながらヒール&トゥを使って正確にシフトダウンするなど『グランツーリスモ』では体験できないいくつかの操作が必要となり、それらがオルドネス選手にとってのストレスになりましたが、そこでの小さな ロス
タイムを含めても元F1ドライバーと遜色のないタイムを記録しました。もう少し実際のクルマの物理的な操作に慣れれば、彼はもっと速いタイムを刻んだはずです。
10年前から、こんな瞬間が必ず来るだろうという確信はあったのですが、こうして実際にそれを目の当たりにすることができたのは制作者として大変喜ばしいことです」
ずいぶん長い道のりで、その間ずいぶん無駄遣いをしてきたように思うが、それでも夢見ていたことがこうしてカタチになったことは、恐らく山内一典にとっても感慨深いものがあるだろう。
また、ゲームの可能性を提示するという意味で、ひとつの意義もあると思う。
その昔、アメリカでマイクロソフト・フライトシミュレーターで飛行機の操作を覚え、実際にライセンスを取得するブームが話題になったことがあった。
今回の話も、こうしたバーチャルな体験がリアルな体験に通じるっていう事例を残したとして、ある種エポックメイキングなことであると思う。
一方で気になることがある。
レーシングシミュレーターとしての地位を築いたはいいが、それで何が残るんだろうか?ということ。
レーシングシミュレーターとしてのGTによって大半のドライビングテクニックは習得することができる。
それはそれで結構なことなのだが、逆に言うとGTというゲームは一般のゲームを楽しむユーザ層に向けてのプロダクトではないことを宣言したようなものだ。
つまり、プレイする客を選ぶゲームである、と。
同じコンセプトで作られたXBOX360用のFORZA2は、リアルであると共に、ゲームとしての遊びの要素が随所に取り入れられ、痛車ブームのきっかけを作ったりした。
しかし、GTから生まれたムーブメントというものはほとんど無いのが現状だ。
リアルに、ストイックであること。それがGTの美学。
そういう方針でゲーム性を排しているような気がしてならない。
そのこと事態を否定するつもりはない。
こうしたリアルの追求をどんどん続けていくことは、ある意味技術の正しい進化の流れだとは思うから。
(もちろん、きちんとしたオンライン対戦ができるといった当たり前のことが出来てこそ、という皮肉も込めてますよ)
しかしその反面、ポリフォニーデジタルという会社は、それでいいのか?という疑問を1ゲーマーとしては持つわけだ。
例えば、グランツーリスモ.comのサイトを見ればわかる。
このサイトのコンセプトは、GTを媒介としてクルマに関する情報・人が集まるハブ、という方針だ。
つまり、『GTはメディアである』ということだ。
メディアであるということは、GTを通じてクルマ好きが集まってくる仕組みが必要だ。
つまり、客を選ぶのではなく、間口を広くして誰もがGTに接しやすい環境を作ることが必要であるにも関わらず、現状はゲームとしてのGTはストイックなユーザーを選ぶシミュレーターであり、グランツーリスモ.comはクルマ情報に関するハブであらんとしている。
あくまでGTというゲームに求心力が無くてはサイトがハブとして機能することは出来ないのだから、この辺の方向性にミスマッチを感じざるを得ない。
GTのコンセプトそのものはこれから推進し続けるのは良しとして、もうひとつ気軽に楽しめる何かが必要なんではないか。
もうおわかりですね?ここで『モータートゥーングランプリの復活』ですよ。
お後がよろしいようで。
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