映画版『電車男』をいまさら観てきたのだが…

 
今更ながら、『電車男』を観て来たのだが。テレビじゃなくて、映画の方。
2ちゃんで祭りになってた頃にちょっとだけチェックして、よくある話じゃんってことでさして気にも留めなかったのだがこの騒ぎ。
個々の想像力に委ねられている部分が強いだけに、映像化されることで特定のイメージが付くことがプラスに働くとは思えなかったので、映画を観に行くのに躊躇してしまっていたのだった。

で、感想から先に言えば、よく出来てるいい映画だった。
原作(というより元ネタと言った方がいいか)の流れを崩さず、語られていない部分がちょっと誇張過ぎる気がしないでもないが、2時間程度でうまくまとめたなぁ、という感じだ。(エンドロール後の演出は蛇足だが)

それと、不思議なものでこの映画を見終わった後、妙に懐かしい感じがした。
何だろう、この感覚は??と考えてみたらわかった。
深夜ラジオの一体感と同じだ、ということが。

深夜ラジオと言ってもこの場合、80年代後期のオールナイトニッポン2部といったAM局のトークラジオのノリをそのものだ。

デーモン小暮の名言

昼間のラジオは聞こえてくるラジオ、夜のラジオは見るラジオ


というコトバに代表されるように、DJのトークを中心に進行される深夜ラジオでは、リスナーの悩みのハガキを読んでDJがそれに答えるというお約束のコーナーがあったりする。普通は1回のやりとりで終了するもんだが、話が重かったりすると何週間か続いてそのリスナーとDJのやりとりが続くこともあった。
他人事なんだけど、DJと一緒にその時間を共有していると、いつの間にか他人事ではなくて、自分の友達の事のように熱くなっている自分に気付く。
そして、普段であればラジオは聞き流すものなのに、手を止めて、じっとラジオを凝視して耳を傾けている自分がそこにいる。
ラジオという限られた環境の中で、悩む者、手を差し伸べる者、それを傍観する者という構図がそのままネット上で展開されたのが、『電車男』の大きな特徴だったと言えるのではないか。
その意味で、おいらが感じた懐かしさというのは、『辻仁成のオールナイトニッポン』や、現役高校教師が10代のガキ相手に(本気で)バトルトークするという伝説的ラジオ番組『後藤鮪郎の正義のラジオ ジャンベルジャン』で感じた青臭い熱意に通じるものを感じたからなんだということがわかった。

で、その映画版『電車男』の監督は、おそらくこのラジオの一体感というものを経験したうえで、電車男を映像化しようとしたんじゃないかと思った。
演出として、スレに書き込む連中を背後からの映像のみで写して、徹底的に名無しさんのイメージで進行しても面白かったんじゃないかと思うが、一般の人に対してわかりやすくストーリーを見せる方法としては、あれはあれで正しいんだろうな。
アパム!アパム!弾!弾持ってこい!といった表現の映像化がちと一般人にはわかり難かっただろうか…?)


で。何が言いたいかというと…

フジテレビ版電車男があまりにデキが悪い件について




日和すぎ、詰め込みすぎ、極端すぎ。
勝手に話をどんどん広げるなよ…だからTVドラマはキライなんだ。

[補足]

久しぶりに”後藤鮪郎”なんてコトバで検索を掛けたのだが、正義のラジオを降板してドリアン助川にバトンタッチした経緯がここに書いてあったので転載。

ラジオ番組と青少年リスナーについて意見交換
http://www.nab.or.jp/htm/ethics/chosa/chosa71.html

毎回本気で

鮪郎:「お前なんかいなくたって誰も悲しまねぇよ。そのまま勝手にグレてやがれ」
リスナー:「うるせーバカ」
鮪郎:「バカにバカ呼ばわりされる筋合いはねえよ」

なんてやりとりが繰り広げられる最高に熱い(暑苦しい)ラジオだったが、純粋さとか青臭さっていうのがキライではなかった。
いい番組だった。愛知県教育委員会も、度量が狭いねぇ。

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