貴重な資料をどう活用するのか?





ってことで、当方の興味分野であるレトロゲームを取り巻く環境についてのお話です。

今の40代前後は、日本が科学技術立国として世界の最先端を走っていた、まさにその瞬間をリアルタイムで体験できた世代であるわけです。

特にコンピュータの進化、そしてそこから生み出されるビデオゲームというまったく新しい娯楽文化を黎明期からリアルタイムで追いかけることが出来たことは、大きな意味があるのではないでしょうか。

ビデオゲームは世界的な産業となり、その中で日本の存在感は相対的に低下しているのはご存知の通りではありますが、世界のポップカルチャーにおいて日本のレトロゲームに対するリスペクトは、我々が思う以上に熱いものであったりします。


ほとんど職人芸に近い形で生み出された日本のビデオゲームがどのような背景で制作されたのか。

しかしそれらを紐解く資料が、きちんと管理されていない状況が広く知られるようになってきました。


ここで語るべき問題は2つです。
 ①資料をどう扱うか?
 ②研究にどう活かすか?


①資料をどう扱うか?
世界的に見て価値のある当時のビデオゲームに関する資料が、何故ぞんざいな扱いを受けているのでしょうか?

ひとえにそれは、管理するコストの問題と言う事できます。

資料は単に保存するだけでは意味がありません。

どのような資料があるのかをきちんと整理し、必要に応じて閲覧できるようにしておかなければいけません。

それには管理費と人件費というコストが発生します。

かつてアミューズメント産業が時代の寵児として莫大な利益を上げていた頃ならまだしも、昨今のソシャゲ隆盛の流れの中で過去のゲームに関する資料を管理するコストを負担するのはかなりの無理ゲーであったりします。

では、これを金に換えることはできないのでしょうか?

・どうやら歴史的な資料であるらしい。
・でも、どの部分に価値があるのかわからない。
・価値を見極めるためには資料を整理する必要がある。
・そのコストを掛けるだけの価値があるのか判断できない。

レトロゲームがヒットしていた時期に公式資料集でも出せればまだ話は違ったのでしょうが、今となってはどれほどの需要があるのか?

宝の山も活かせなければ単なるゴミ。

こうして貴重な資料はだんだんとぞんざいな扱いを受けるようになって、最終的に破棄されてしまったりするわけです。

だったら研究目的の好事家たちに開放してしまえばいいのでは?

それも簡単ではありません。

開発に関する資料はある種のノウハウの蓄積であって、機密情報にも該当します。

例え制作したクリエイター本人が当時の資料を公開したいと思っても、個人の判断で勝手に世に出すことは現在の法制度の下では許されません。
(会社に仁義を切った上で個人的に公表している人はいますが、それも極一部です。)

会社にとっては資産でもあり、それらを開放してしまうことで万が一企業が損害を受けるようなことになったら…?。

なにしろ無償で公開する大義名分が無いのですから、企業としても動く理由がありません。

そんなわけで企業の倉庫に塩漬けされている資料をどう活用するべきか?

保存していてもマネタイズできない以上、それらの資料の現時点での価値はゼロと言っていいと思います。

とはいえ、然るべき機関に託すことで資料がまとめられ、再び価値を生み出す可能性もゼロではありません。

そこに企業側のジレンマがあったりもするわけです。

幸いなことに、今回記事になったナムコのケースでは、会社から予算を引き出すことに成功していますが、これとて資料すべてを管理できるほど潤沢なものではないでしょう。

どこかで決断が必要です。

そこで必要になるのが大義名分です。

②研究にどう活かすか?
日本のポップカルチャーを研究するにおいて貴重な資料である、という認識は国内外を問わず判る人は判っています。

「米国のロチェスター工科大学と提携している、ザ・ストロング・ミュージアムという遊具全般を扱うミュージアムがあって、『日本で手が回らないならこちらでやってあげるよ』とも言われているんです。全部送ってくれれば整理してやる、研究者もいるからと。ただ、今のところ、その申し出は断っています」(兵藤氏)
という申し出からもわかるように、海外ではこうしたカルチャーを学問として研究する土壌があります。

兵藤氏はその申し出を断っていると言いいますが、なぜ断るのでしょうか?

海外に資料が散逸するリスクを危惧しているのでしょうか?

日本の文化なんだから日本人がすべてやるべきだという考えでしょうか?

今なすべきことは、散逸しそうな資料をまとめ、整理し、データ化し、DB化することです。

その上でそれらの資料を活用した研究を進めればいいわけで、資料の整理と研究は分けて考えるべきです。

日本のレトロゲームの学術的研究ならびにアーカイブ活動に関しては、上記のツイートでも触れていますが、立命館大学の取り組みなどきちんと研究しようという動きが無いわけではありません。

しかし、その動きは局所的なものに留まっており、学問としての広がりにはなかなか結びついていません。

また、詳細は語りませんがアーカイブに取り組む団体や組織の連携があまり進んでいないことも懸念材料です。

オークションに出てきたレトロゲーム関連の商品を複数の団体が競り合うという不毛な状況になっていること。
(ある意味健全な姿ではありますが、限られたリソースの使い方としてはほめられた状況ではありません)

アーカイブの予算を国から引っ張ろうとしても、そのロビー活動をしてくれる議員がほとんどいないという現実。

文化庁などで細々としたプロジェクトが動いていたりはしますが、取り組みが単発かつ広く公知しようという意思も感じられず、結果として成果物がほとんど活用されていないこと。

こうしたバラバラな動きをしている状況では、上記のナムコの資料を研究として活用することに明るい希望を抱くことは難しいわけです。

そうしている間に開発に携わったクリエイターが高齢化し、中には亡くなる人も出てきています。

ゲーム会社も倒産や事業譲渡などにより当時の資料は多くが破棄されたり散逸したりしています。

悠長に考えている時間はないのです。


■資料の研究目的の活用に対する私見
①企業は活用しきれない資料を研究目的に限定して公開(クリエイティブ・コモンズ化)する。

②電子化&DB化は海外のノウハウを持つ研究機関に主導させ、国内からも勉強の目的で共同事業化する。

③当面は資料の研究に限定してDBへのアクセス権を与える。

こうすることで、企業は

「日本のポップカルチャーの理解を世界に広げるためのCSR活動の一環」

という大義名分によって倉庫のゴミ 資料に価値を与えることができるわけです。
(国もこういった方針に対して何らかのバックアップがあって然るべきです)

資料の整理、DB化に関してはいずれにしても海外での研究のためには翻訳作業が必要になりますので、ノウハウを持つ海外の研究機関と組んで進めるのが一番効率的ではあります。

そうして資料が整理された上でどう研究に活かすかは、その国の研究レベル次第でありましょう。

個人的に日本人が研究のアプローチで成すべきことは、クリエイター自身が語るオーラルヒストリーを、DB化された資料と紐付けながら研究を進めていくスタイルではないかと考えております。

今の日本で、特に文化を研究するための環境は組織も予算も限られている状況にあります。

これらが改善される見込みも乏しく、貴重な資料を無為に寝かせておくのは世界的な損失であると考えております。

だからこそ、海外の連中を巻き込んで一気に作業を進めてしまうのが一番であると考えます。





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